「井伏鱒二 」の解説

1898年2月15日に、深安郡加茂村粟根(現在の福山市加茂町栗根)に、父郁太、母ミヤの次男として誕生。井伏家は嘉吉2年(1442年)までさかのぼれる旧家で、家号を「中ノ士居」という代々の地主である。5歳のときに父を亡くし、特に祖父にかわいがられて育つ。1905年、加茂小学校入学。1912年、広島県立福山誠之館高等学校 福山中学校に進学。学校の庭には池があって、二匹の山椒魚が飼われており、のちの処女作「山椒魚」に結びついた。中学校3年生ころから画家を志し、卒業すると3ヶ月間奈良、京都を写生旅行。そのスケッチを持って橋本関雪に入門を申し込んだが、断られ帰郷。
その後、前々からの兄の勧めで文学に転向し、早稲田大学に入学。青木南八と親交を結び、ともに文学部仏文学科に進む。このころ、岩野泡鳴や谷崎精二を訪ねている。1921年、片上伸教授からの同性愛 ホモセクハラ行為に恐れをなして休学。約半年後に復学手続をとるも、片上からの反対で退学となった。またこの年、無二の親友であった青木を失い、日本美術学校も中退している。

井伏鱒二の詳細

「井伏鱒二 」の関連Blog

▽『荻窪風土記』井伏鱒二

思えば、井伏鱒二も気の毒な人だった。中学生の頃より絵が好きで、日本画で身を立てようと奈良・京都で描いた写生を携えて橋本関雪に入門を申し込んだが、ボツ。 ... 開高健が時代に刺激が足りなくて創作意欲が沸かないと嘆けば ...

▽『荻窪風土記』井伏鱒二

『人とこの世界』開高健

... これが開高健の文章のおもしろさです。 井伏鱒二について。 > 井伏鱒二氏の限はなにげない、晴朗なるべき釣りの話をしながら、ときどき、ふいにギラギラしだし、フッと消えてなごやかになり、という風であった。 ...

『人とこの世界』開高健

[読書] 開高健

... このころ開高健さん30代、その若さで広津和郎 きわだみのる 大岡昇平 武田泰淳 深沢七郎 井伏鱒二 島尾敏雄などという文壇の重鎮たちにインタビューし彼らの文学を描写します。それは文芸評論の範疇では収まらない作家による作家評論なのです。 ...

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